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中央線沿線に何故こうも歴史のあるクラシック喫茶(名曲喫茶)が残されているのか、僕は知らない。 ただ、数年前に中野の「クラシック」が閉店したことによって、その灯りも少し消えかけたかに見えた。 しかし、噂によると、その時の調度品や機材やレコード等を保存されていた方が、その調度品等をそのまま使って、高円寺に新しく「ルネッサンス」(未訪)という名曲喫茶を開店されたらしい。 更に、荻窪には店主こそ代替わりされたが「ミニヨン」が健在だし、阿佐ヶ谷には「ヴィオロン」(未訪)があるし、国分寺には「でんえん」があるし、そして、高円寺には「ルネッサンス」が出来るずっと以前から今回訪れた「ネルケン」がある。 僕は特にクラシック好きという訳でもないし、有名な作曲家はまだしも、演奏家の名前などほとんど知らない。 僕がクラシック喫茶を好きな理由は、ただただ心が落ち着くからだ。 古い調度品の数々、あまりにも座り心地のよい椅子、歴史の積み重なった空気感、静かに深く響く音楽、コーヒーの香り・・・それらを数百円で味わえる贅沢さは、クラシック喫茶の他には存在しない(稀に極上のジャズ喫茶が味わわせてくれるが)。 この「ネルケン」もそんな店のひとつだ。 高円寺は、ロックの街・サブカルチャーの街というイメージが定着しているが、駅から徒歩4、5分の場所にこんな歴史遺産のようなクラシック喫茶があることは、街にとってすごく貴重なことだ。 こういう店がひとつあることによって、街に深みが出る(渋谷に「ライオン」があるように)。 僕が入った時にたまたま他にお客さんがいなくて、もしかしたらこの店は歴史とともに埋没しているんじゃないかと危惧した。 しかし、数分すると続けて4、5組のお客さんが来て、現役の喫茶店として機能していることを知り安心した。 こういう店をちゃんと愛し支えている地元の方々がいるということも大切なことだ。 オーナーらしき老齢の婦人が独りで接客をされていた。 この方はとても美しい方で、その存在にも接客にもすごく品があった。 まるで「クラシック喫茶はこうあるべきだ」という教科書のような店だ。 写真左は、最近読んでとても面白かった町田康の「浄土」という短編集。 以前読んだ町田康の本はいまいちだったが、この作品は昔の筒井康隆のシュールでナンセンスな小説を思い起こさせてくれるような短編集だった。 <今日のコーヒー> 高円寺「ネルケン」 ブレンドコーヒー 450円 #
by matchan-h
| 2009-03-21 18:03
| 喫茶店
久し振りに衝撃的な喫茶店に出会った。 川越のクラシック喫茶(?)「アマデオ」。 外観は古い民家で、道路に面している部分は全面ガラス張り。 その窓側に四人掛けのテーブルが二つしかなく、天井からは裸電球が吊るされている。 外から店内は素通しだが、本当に営業しているのかどうかよく分からない。 何故なら、店内があまりにも雑然としているからだ。 入ってみて分かったのだが、クラシックのレコード(売り物)が詰め込まれた段ボール箱がそこら中に無造作に置かれているのだ。 店に入ると、老齢の店主は「えっ、ここでコーヒー飲むの?」という感じ。 まるで客が来るのが不思議だというような雰囲気。 そして、それまで掛けていたレコードを止めた。 逆にこちらから音楽を掛けてくれるように頼むと「何がいいですか」というようなことを言われたので、「サンサーンス」とリクエストとした。 これは僕の間違いで、恥ずかしながら本当はサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」を掛けて欲しかったのだが(これも結局ご厚意により後で掛けてもらった)。 それにしても、このレコードの音が素晴らしかった。 これもまた無造作に置かれている手作りの真空管アンプと手作りのスピーカーから流れてくる音。 温かい音とか柔らかい音というよりも、音のひと粒ひと粒に触れることが出来るような、なんとも生々しい音が伝わってくる音響システムだった。 音だけではなく、剥き出しの真空管たちが、まるで昇天して透明になってしまったニョロニョロみたいに木組みのアンプに突き刺さっているのがヴィジュアル的にも印象的だった。。 特に、後から掛けてもらった「ツィゴイネルワイゼン」のヴァイオリンの音にはグッと来た。 ちなみに、ヴァイオリニストはアーロン・ローザンド。 今までに何軒かクラシック喫茶に行ったことがあるが、音にこれほどシビレたのは初めてだ。 しかも、その掛けてもらったレコードのジャケットを見せてもらうと、<4000円>などと値札が付いていた。 そう、売り物のレコードを掛けてくれているのだ(!)。 いくら中古レコードとは言え、ちょっと驚いた。 ちなみに、コーヒーを注文すると、しばらくして奥から緩やかなリズムでガリガリという音が聞こえてきた。 手回し式のミルで豆を挽いているのだ。 どこまでも味わい深く、稀有な喫茶店だ。 <今日のコーヒー> 川越「アマデオ」 コーヒー 350円 #
by matchan-h
| 2009-03-12 23:11
| 喫茶店
以前から一度は訪ねようと思いつつ、ずっと躊躇していたのがこの店。 ある本でこの店のことが紹介されているのを読んで、コーヒーのブログを書いている限りは一度は行かないといけないと半ば義務感を抱いていた。 と同時に、老舗中の老舗であり、敷居が高いんじゃないかと勝手に思い込み、二の足を踏んでいた。 銀座の裏通りにあるこの店は、老舗の有名店であると知らなければ決して入りにくい店でもない。 実際に入ってみても、堅苦しい感じは全くしなかった。 それどころか、店内にFMラジオが流れているのがすごく意外で、こういう店はてっきりBGMなしかクラシックだと思っていたのでちょっと拍子抜けさえした。 一杯ずつ丁寧に淹れるネルドリップ。 飲んでみて驚いたのは、コーヒーの温度の低さ。 「えっ、ぬるい?」と思えるくらいの温度。 サイフォン式とドリップ式のコーヒーの淹れ方の決定的な違いのひとつが、この温度の問題。 何℃のお湯でコーヒーを淹れれば一番美味しいかは諸説あるけれど、サイフォン式はその仕組みからして微妙な温度調整が出来ない。 その点、ドリップ式はそのお店ごとに適温を調整できる。 それにしても、僕が今まで飲んだ専門店のコーヒーの中で、このコーヒーが一番温度が低いことは間違いない。 もっと温度の低いコーヒーを出す店はあるのだろうか? まろやかで、苦味と甘味がバランスのいいコーヒーだと感じた。 しかし、その秘密が温度にあるのかどうかは僕には分からない。 この温度が本当にコーヒーにとって適温なのかどうかも分からない。 もう一度訪ねて、別のコーヒーを注文して飲み比べてみたいと思った。 いずれにしても、コーヒーの世界の奥深さを知らされた一杯だった。 ちなみに、写真に写っている灰皿は最初からテーブルに嵌め込まれている(!)。 これが今年初の書き込みになる。 しかも、去年の後半も随分とサボってしまった。 毎日2、3杯は必ずコーヒーを飲んでいるのだが、こに書き込むに至らなかった。 これからも折を見て書いていくので、長い目で見守って下さい。 <今日のコーヒー> 銀座「カフェ・ド・ランブル」 №3カフェ・ノワール 700円 #
by matchan-h
| 2009-01-25 22:50
| 喫茶店
以前からその存在は知っていたけど、なんとなく敬遠して入らなかった店。 <高級喫茶>と自ら謳っている点や、入口からいきなり階段を下りていく作りになっていて店内の様子が見えないことで、実は何度か入るのを躊躇していた。 たまたま昼時に上野に用事で来ていたので、ランチを食べつつコーヒーを飲もうと意を決して入ってみた。 (このブログを書いているというのも心の支えになっている) 「ガラガラやったら気まずいなぁ」という僕の思いは一瞬にして裏切られた。 店内はランチタイムのサラリーマンでほぼ満席。 本当の意味で<高級>かどうかは別にして、<高級喫茶>を自ら謳うだけあってシャンデリアやステンドグラスが店内を飾るオールドファッションな喫茶店に、これだけのお客さんが来ていることが僕には不思議な光景に映った。 地方都市で辛うじて生き残っていそうな喫茶店が、都内の、しかもかなり繁華な場所で流行っているということは、やはり東京の懐の深さなのだろうか。 僕が案内された席は、テーブルに対して二人掛けのソファーがひとつだけ置かれている一人用の席で、これがなんとも落ち着く。 それだけでこの店がすっかり気に入ってしまった。 喫茶店にとって、椅子(座席)はかなり重要な要素である。 ナポリタンのランチを食べ終わり、本を読みながらコーヒーを飲み終えてふと顔を上げると、先程までほぼ満席だった店が急にガランとしていた。 サラリーマンの昼休憩が終わり、まさに潮が引くようにお客さんたちが帰って行ったのだ。 地下のために窓もなく、完全にオールドファッションな調度に囲まれ、僕はその<隔絶感>に浸った。 いい店を見つけた。 <今日のコーヒー> 上野「古城」 ナポリタンランチ 990円 #
by matchan-h
| 2008-09-07 17:32
| 喫茶店
京都・木屋町六角に「わからん屋」というライヴハウスがある。 場所は転々としてきたが、かつての「Other Side」というライヴハウスの延長線上にあり、もっと古くは「どん底ハウス」の延長線上にもあるライヴハウスだ。 僕が初めて訪れた時は、まだ「どん底ハウス」という名前で西大路丸太町にあった。 23年前の話だ。 マスターもPAの嶋さんもその頃から変わらない(ここだけ時が止まっているのかと驚くくらい変わらない)。 それ以来の長い付き合いになる。 今回の旅の大きな目的のひとつは、この「わからん屋」の飛び入りライヴデーで詩の朗読者としてデビューすることだった。 いつも自分のライヴ中に詩を一篇朗読してきたが、詩の朗読だけでライヴをするのはこれが初めて。 わずか15分の飛び入りライヴとは言え、久し振りに緊張した。 普段のライヴでは、新曲を発表する時でもこんなに緊張することはない。 詩への導入としてのしゃべりを練り、朗読の練習をして臨んだつもりだったが、後から反省することは多かった。 ライヴ後、マスターや嶋さんからいただいた意見も「なるほど」と思うことばかりだった。 近い将来、詩の朗読のイベントを企画したいと強く思っているのだが、それに向けて様々な角度で勉強になった。 頭で考えているだけでは分からないことは、実践で学ぶしかないのだ。 それにしても、道は遠い。 その時に朗読した五篇の詩のうちの一篇をここに掲載する。 この詩の中に「誰デモイイカラ殺シタカッタ」という一節がある。 今年の流行語のようになっているが、この詩を書いたのは5、6年前のことである。 彼らの言い分は何も変わっていないということなのだろうか。 夕暮れ 蝉が電信柱から電信柱へ渡り 渡りきった所で力尽きた 空じゅうが夕焼けで 両掌に親指をぎゅっと握り込んで歩いた 死んだ人はいつまでも目を閉じていて 少しほっとした顔をしていた どこまでも続いているように思えた線路は 終着駅で途切れていて けれど僕はもっと先に進まなければならなかった 文通を続けていた女の子は 誘拐されたまま帰ってこなかった 池に石をいくつ放り込んでも 池は埋まりはしなかった 「誰デモイイカラ殺シタカッタ」と 新聞には書かれていた もう家に帰る時間になったから 僕は僕の影に向かって何度もさよならを言った (作・松本秀房) 昨日、夏の終わりの蝉が、何を血迷ったのか僕の部屋の窓に激突した後、窓辺の物干し竿に留まって弱々しく短く鳴いた。 死に場所を探しているのかと思って見ていたら、もう一度飛び立っていった。 僕の物干し竿は、彼の死に場所には相応しくなかったらしい。 その時、自分のこの詩を思い出した。 <今日のコーヒー> 京都「わからん屋」 ホットコーヒー 500円 #
by matchan-h
| 2008-08-31 19:10
| 詩
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