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普段はコーヒーの写真と喫茶店や言葉に関することを書いているこのブログ。 ところが、昨年は僕にとって思い入れのある喫茶店が何軒も失くなった年だった。 今回はその想いを書くことにする。 まず、近所にあった「茶の間」というカフェが昨年の春に失くなった。 東京家政大の学生が中心になって経営していて、栄養や食材の品数を考えたメニュー(豆腐ハンバーグや米粉を使ったシフォンケーキなど)を廉価で提供してくれる店だった。 一人暮らしをしていると、日々の食生活のバランスを考える上で、近所にこういう店があることは本当に大きかった。 バイト帰りにぼんやりとコーヒーを飲むのにもいい場所だった。 実験的な店だっただけにいつかは失くなると思っていたが、実際に失くなってみると自分の食生活のリズムが少し変わっていることに気付かされた。 福岡の「コンボ」というジャズ喫茶が昨年夏に失くなったことをネット上で知った。 この店は僕のホームページの<好きな店>でも紹介している老舗のジャズ喫茶。 福岡に行く度に時間を見つけては寄っていた。 今時珍しく昼間から薄暗いビルの2階にあり、店内も薄暗く、そこにいると自分が一体どんなの時代いるのか、今が何時頃なのかも分からなくなる。 それは<懐かしい>という感覚ではなく、<今が解放されていく>という感覚。 こういう店は作ろうと思っても簡単に出来ない。 それは、鍾乳洞の石筍や木の年輪のように、歳月の積み重ねでしか作り上げることが出来ないもの。 それが失くなった今、遠く福岡の街から僕の心の奥まで照らしていた灯りがひとつ消えたように感じた。 今年に入って、下北沢を訪ねた時、「マサコ」が失くなっているのを発見した。 下北沢駅前再開発の一環として、隣りにあったスーパーマーケットの跡地と共に更地になっていた。 それを見つけた時、僕は愕然として、本当に膝から崩れそうになった。 東京でも屈指の老舗ジャズ喫茶が失くなってしまったのだ。 諸事情あったとは思うけれど、失くなってはいけない店の一軒だった。 福岡の「コンボ」と同じく、歳月とお客さんたちがその雰囲気を作り上げた名店だった。 東京にはまだ老舗ジャズ喫茶が何軒か残っているけれど、その中心的な存在が失くなり、まるで東京の街そのものが地盤沈下したみたいに僕には感じられた。 こうして街から<匂い>が失われていく。 こうして街から<居場所>が失われていく。 こうして街から<街>そのものが失われていく。 今目の前にあるこの風景は、一体誰が望んだ世界なんだろうか。 これが多くの人たちの望んだ世界だとしたら、たとえ<感傷>と呼ばれたとしても、僕一人だけでも「反対!」と叫び続けなければならない。 さようなら、2009。 そして、2010年、今年もよろしくお願いします。
by matchan-h
| 2010-01-04 13:54
| 喫茶店
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